阿波おどり
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新聞で見る阿波おどり

大正編
新聞記事
徳島新聞
1998年7月23日掲載
執筆者 石川文彦
県外遠征

“よしこの”も定着

 阿波踊りは、今では県外はおろか海外にまで出かけているが、初めて県外に遠征したのはおそらく大正五(一九一六)年夏のことだろう。徳島日日新報によると、和歌山県の商業会議所の要請で八月に紀三井寺の千日参りに派遣され、三日間踊った。


徳島市紺屋町の立木写真館の前を踊っていく芸者ら。大正後期と思われる

 また十年三月二十日には神戸開港五十年祝賀行事として富街の芸妓およそ二十人が招かれ、神戸市内を踊り抜いている。この時には希望者が五十人にも上り、選ぶのに苦労したそうだ。続いて五月には“富街きっての美形十人”が東京、大阪、神戸で十日間ずつ公演している。

 このうち神戸では十四日から新開地の千代の座ほかであり、それを見た徳島出身の神戸の読者が徳日に「神戸で大人気の阿波踊」と題した「評判記」を寄せている。それによると場内は満席。「調子が一変すると評判の馬鹿踊だ。米千代に静子の踊る足元、踊りの手は国で見た通りであるが、同じ踊でも他郷のここでは一入(ひとしお)の面白味があった。…然し遺憾に思ったのは阿波独特の(よしこの)歌を聞かしてくれなんだ事だ。舞台で踊るのと広い街を踊るのとは一寸(ちょっと)違って居るから六ケ(むつか)しいのかしらんと思ふ」と記しており、このころには「よしこの」がすっかり定着していたことがわかる。

 ■阪神にPR■

 徳島商業会議所でもこのころから阿波踊りのPRに力を入れ始め、大正十一年夏には踊りのポスターを製作、阪神地方に配布している。

 この年には何度も踊りが行われ、「又も踊り」の新聞見出しが付いたほど。五月の忌部神社五十年祭に続き、六月には郷土部隊の六十二連隊がシベリアから帰還したのを歓迎して踊りが開催された。なお盆踊り以外でも願い人はおり、帰還兵歓迎祝いの際は、連隊御用商人一同が徳島警察署に願い出ている。

 九月には本番の盆踊りがあり「冗費節約も物価引下も其方除(そっちの)け」「朝ッぱらからの大浮れ」(徳日)だった。「冗費節約も…」というのは、芸舞妓が毎年、知事や警察部長などの官邸を表敬訪問すると、ごちそうを出していたが、この年は冗費節約宣伝の“本元”である知事がそんなことをしてはと、麦湯だけでお茶を濁そうとしたところ、一行は「これ見よがしに横目で素通り」したことを指している。

 ■10月に2度■

 このほか撫養では十月に疫病終息と学制発布五十年を記念し、二度にわたり踊りがあり、他町民をあきれさせたほどだ。翌十二年の踊りも撫養では大いにはずんだ。雨が降らず不景気の年だったが「旱(かん)天に用水無きを嘆息する正反対にて、塩田は旱天の為め豊作」とあって、昼間から流しの踊り連が多数見られ、夜は「満潮の押来る如き勢ひ」。いまひとつだった徳島市の踊りよりも撫養の踊りの方が盛ん(徳日)だったそうだ。


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