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新聞で見る阿波おどり
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徳島新聞
1998年7月22日掲載
執筆者 石川文彦
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多様化
鳴り物に西洋楽器
これまでにも少し触れたが、明治期前半には、良家の子女が常盤御前のような花笠をかぶり、燃えんばかりの派手な友禅模様の浜ちりめんの艶美さを競い、日ごろ習っている三味線の腕を披露しようと、師匠とともに町を流して歩く風景がよく見られた。
■流しに変化■
当時、娘のいる家庭では、踊りに行かせないと恥のように感じていた傾向があり、なかには乳母や店の者までそれに付き添わせた。
大正期になるとバイオリンなど西洋楽器が鳴り物として取り入れられた=当時の絵はがきから
ところが明治三十五(一九〇二)年に徳島県立高等女学校が設立され、高等教育を受けるようになると「三味線なんて低級」とオルガンなどのおけいこごとに転向する者が多くなった。それにつれて明治期後半には「盆踊りなど下品」という風潮が出て、だんだん一般の女性の流しは少なくなった。
大正期になると一般の娘やその師匠連の流しは珍しい存在となり、芸舞妓の流しばかりが目立つようになっていた。
鳴り物にも変化があり、大正期になるといろんなものが使われ始めた。もちろん三味線や鼓が主体ではあったが、大正から昭和初期にかけてはバイオリンやマンドリン、ハーモニカ、クラリネットといった西洋楽器が広く用いられた。
バイオリンと尺八の合奏もあった。良家の子女に人気のあった風琴(オルガン)は持ち歩けないために使用されなかったが、手風琴(アコーディオン)は一部で使われていたようで、その時代に流行したものは、すぐに阿波踊りに取り入れられていることが分かる。楽器の変化とともに「コミックダンスの装いでおどってゆく」者も現れ、踊りそのものも多様化していった。
■広告に利用■
このほか注目されるのは広告媒体として阿波踊りが利用され始めたことだ。大正四(一九一五)年の南廓(なんかく)芸妓の編み笠には「兜(かぶと)ビールと花の春」、うちわには「多田屋」の広告がしてあり、以前にはなかったことだ。その後「レート隊」「メートル隊」なども登場する。
レートというのは石鹸(せっけん)や化粧品のブランドで、阿波踊りでは百人近くが繰り出し大宣伝を展開した。メートル隊はメートル法の宣伝にあたったようだ。
当時、活動写真といわれた映画の阿波踊り撮影も大正期になって始まった。二年八月十六日の徳島毎日新聞は「荒川博士監督の下にある名人会は、当地滞在を幸い徳島の盆踊りの実況を活動写真に撮影し、汎(ひろ)く県外人に紹介」「当地にて活動写真の撮影は始めて」と、報じている。
十一年には新町橋筋にあった映画館「世界館」が、徳島日日新報の後援により九月六、七の両日にわたり、自動車を利用して市内各所の踊りの様子を撮影した。数日後には同館でニュース映画として公開している。 |
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