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新聞で見る阿波おどり
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徳島新聞
1998年7月19日掲載
執筆者 石川文彦
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好意的論調
2大紙が擁護論に
大正時代の県内新聞界は徳島毎日新聞、徳島日日新報のほか、一時は徳島公論、徳島毎夕新聞、阿陽新報と日刊紙だけで五紙が競ったことがあった。しかし、影響力があったのは徳毎と徳日の両紙で、他の三紙とは大きな開きがあった。
昼は昼で、夜とは違ったにぎわいがあった=大正初期、西新町で(当時の絵はがき)
両紙とも明治期には阿波踊りを非難していたが、大正期には写真付きで大きく紹介、論調も次第に好意的となる。
五(一九一六)年は八月十二日から三日間踊った。ひところは新町、内町、富田中園からたくさんの踊り子が繰り出したが、このころには福島、安宅、佐古、助任からが多くなった。
徳日では八月十七日付で「観音寺の踊り」についても触れており、少し紹介したい。
■「盆もどせ」■
以前、徳島市の踊り最終日には、踊り足りない人たちが踊り期間の過ぎた午前零時以降、太鼓をたたきながら「盆もどせ盆もどせ」を絶叫していた。しかし「徳島の盆踊りが済んだ翌日」に「名東郡国府町観音寺の一日遅れた盆踊り」が開催されるようになり、大いににぎわった。
「前日の打止めで踊り足らぬ石井、鴨島、加茂名の浮助連はヨイソラで此町に乗込み、特に徳島市方面より素人、黒人(くろうと)の美形連踊り子、旦那(だんな)をも羅致(ひきつ)れてゾメクもの多く、参詣人と、盆踊り雑沓(ざっとう)に取締の警官も汗みどろ…」と、その様子を伝えている。
■他国人の評■
六年は五月二十八日から三日間の蓬庵祭(藩祖蜂須賀家政の二百八十年祭)に続いて、八月三十一日から三日間許可された。徳毎は九月四日付写真特集「富街の踊り連」のなかで「諸国一般の盆踊は悲哀の曲であり、死のダンスであるが、ただ独り阿波の盆踊りは生の歌であり、躍進の象徴である。他国人は之を評して狂気踊りといふそうなが、狂気でもなんでもいい。生々躍動してゐる人間の歓喜を露骨に現はした所に価値があるといふものだ。又盆踊は風俗に害があるといふ石部の守の議論もあるそうなが、そういふ手合は生物が単性生殖に逆戻りすることを理想としてゐるのだから、兎角(とかく)相手にせぬことにして、大に働く所では働き、大に遊ぶ所では遊ぶのがよいのだ」と記している。あれだけ風俗に害があるといって踊りに反対していた新聞とは思われない変身ぶりだ。
徳日もこじき姿や女性の男装について批判した論調もあるが、全般に踊りを大きく好意的に取り上げるようになった。「商人に嫌はれる狂踊(きちがいおどり)」(六年五月十五日)では、買い物中のお客は踊りがやってくると品選びそっちのけで踊りを見に行ってしまい迷惑だという商人がいるが、踊りのために地方からたくさんの人出があり、商売もにぎわうとし、商人は虫がよすぎると踊りを擁護している。 |
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