阿波おどり
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新聞で見る阿波おどり

大正編
新聞記事
徳島新聞
1998年7月15日掲載
執筆者 石川文彦
「見る踊り」へ

舞妓そろい浴衣で

 大正期の阿波踊りは、明治期後半以来の衰退ムードがしばらく続くが、次第に盛り返し明治期前半のように昼夜ぶっ通しでにぎわった年さえある。
花柳界の芸舞妓(げいぶぎ)による踊りが前面に出てきて、商業会議所などは観光資源として力を入れ始める。明治末期にその兆しがみえていたが、本格的に「見る踊り」への道を歩み始めたわけだ。
一般の人たちの熱狂的ともいえる踊りを徹底的に排撃していた新聞も、全般的に好意的な報道に変わっていった。衣装はそろいの浴衣が多くなり、鳴り物には洋楽器も使われるようになる。

 一年間の諒闇(りょうあん)=天子が父母の喪に服する期間=が明けた大正二(一九一三)年の踊りは二日間のみ。三年は第一次世界大戦が始まったため中止された。

■三花街盛況■

 久しぶりに盛り上がったのは四年だ。大正天皇即位の年で、八月二十四日から三日間開かれた。
富田町、内町、秋田町の三花街のハッスルぶりが目立ち、富街検番では百数十人の芸妓をそろいの衣装で出させたほどだ。


大正4年11月の天皇即位奉祝での変装踊り=当時の絵はがきから

 二十五日付徳島毎日新聞は「棒縞(ぼうじま)の木綿の浴衣に赤と水浅黄のモスの脚布(きゃふ)、揃(そろ)いも揃った百数十名の富街芸舞妓の大集団、阿波一流のヨシコノを無責任に掻(か)き鳴らして朝の七時から定めの市内を横行した。本社前へ来たのは八時過ぎ、写真の通の体たらくで中々盛んなものだった。本社前を去ってから俄(にわか)に予定を変更に及んで、エイサエイサと新蔵町は知事公の官邸へ押しかける。折柄知事公まだ登庁前でイササカ面喰らった体であったが、予(かね)て地方の古習に興味を持たれているので、これは面白いと中門を開放して応接室付近の広庭でエライヤッチャの御賞覧…」と写真入りで大きく報じている。

■奉祝踊りも■

 しかし、昼の踊りはだんだんさびれ「昔ながらの艶な三味の響が聞こえることと思っていたが、予期していた程のものもなく大半は雑駁(ざっぱく)な流しやヨシコノのみ」とし「時代が推移して行くに従うて、徳島の盆踊りは粋を競うた昼の伊達(だて)姿よりは、夜の安値な軽便の風に傾いて行くように思われる」と嘆いている。

 続いて十一月十五日から三日間、天皇即位を祝う奉祝踊りが開催された。熱狂的ともいえるにぎわいぶりで、徳島市では「イカツイ髯(ひげ)を生(は)やした御方迄が、踊子にそそられてステッキ持つ手を高々と万歳万歳と囃(はや)し立て、上下一様に奉祝に酔うたる体(てい)」。

 地方でも大変な騒ぎで、富岡(現阿南市内)では「老若男女殊(こと)に例年の盆踊に姿を見せざる第一流の奥様、令嬢達も種々の変装をなして思い思いに町内を踊廻る」(以上徳毎)状態だった。このため十五日からの三日間ではあき足りず、さらに二十五日から三日間許可された。


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