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新聞で見る阿波おどり
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徳島新聞
1998年8月3日掲載
執筆者 石川文彦 |
戦時中
復活へ機運高まる
阿波踊りを主題にした映画については、実は新興キネマでも計画していた。同社企画部の日夏英太郎が昭和十四(一九三九)年七月、三回にわたり徳島日日新報夕刊に連載した「『阿波踊』に寄せて 徳島の夏を想ふ」によると、蜂須賀侯に鳴門の渦の絵を依頼された池大雅夫妻の徳島生活と新町の老質舗の娘の恋を絡ませた「徳島阿波踊り」で、既にシナリオまで用意していた。しかし「阿波狸合戦」の最初と最後でも阿波踊りを紹介しているため、製作を延期しているところだという。ところがライバルである東宝が「阿波の踊子」を取り上げ、ヒットしたこともあり結局日の目を見ることはなかった。
■“慰問映画”■
十六年には「阿波の踊子」に続いて、九月四日にも映画撮影が行われている。同日の徳島毎日新聞夕刊の見出しは「今朝公園で踊り抜く 盆踊り復活と早合点してはいけません 兵隊さんへ贈る文映撮影」。徳島市銃後奉公会が郷土兵士を慰問するため映画製作を企画、鷲の門から千秋閣付近で開催したもので、午前中にもかかわらず多数の見物客を集めた。
太平洋戦争ぼっ発を知らせる徳島毎日新聞=昭和16年12月8日付夕刊
慰問映画撮影から三カ月後、日本はついに太平洋戦争に突入した。「大本營陸海軍部發表(十二月八日午前六時)帝國陸海軍本八日未明西太平洋で米英軍と戰闘状態」。昭和十六年、戦争ぼっ発の日の徳毎夕刊は、大本営発表をそのまま一面トップの凸版見出しで使っている。天気予報はこの日から機密漏えい防止のために姿を消す。戦争といえば、これまでは号外合戦が常だったが、この戦争では用紙不足のためそれどころでなく、県内では開戦号外さえ発行されなかった。
■2紙を統合■
情報統制のための新聞統合は既に各地で進み、県内でも徳毎と徳日が統合することになり、開戦直前の五日、新会社「株式会社徳島新聞社」の創立総会が開かれた。徳毎、徳日の両社は新会社への出資会社として存続はしたが、新聞発行はできなくなり、十四日付朝刊を最後に廃刊。連載小説などはそのまま打ち切りになるという乱暴なやり方で、新聞発行の長い歴史を閉じた。新たな徳島新聞は徳毎の施設を使い、十五日付夕刊から発行を開始、号数は一号からスタートした。
真珠湾攻撃により、航空母艦を除いた米太平洋艦隊の主力を全滅させ、さらにマレー沖では英東洋艦隊の主力戦艦を沈めた。日本軍の進撃は華々しく、わずか数カ月間で西太平洋からビルマに至る広大な地域を占領下に置いた。
国民は熱狂し、政府や軍も緒戦の大勝利に酔いしれた。このため十七年夏には、内務省でも盆踊り開催の緩和を各府県の警察部長に対し通達。県内では既に農漁村の盆踊りについては前年から許可されていたが、これを受けて阿波踊り開催への機運も一気に盛り上がった。 |
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