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新聞で見る阿波おどり
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徳島新聞
1998年7月28日掲載
執筆者 石川文彦 |
本格PR
県外見物客が殺到
景気の低迷などから盛り上がりを欠いていた阿波踊りが、活況を取り戻したのは昭和三(一九二八)年の秋だった。十月一日の徳島市制四十周年祝賀、十一月十日からの御大典奉祝では文字通り全市が踊り一色となった。
■11日間開催■
徳島毎日新聞によると、市制四十周年祝賀踊りでは久しぶりに変装が許され、芸舞妓(げいぶぎ)の手踊り、野外劇など数々の余興でにぎわった。
続いて四十日後にあった御大典奉祝踊りでは、当初一週間だった予定をさらに四日間延長。異例の十一日間という長期にわたる踊りとなった。
11日間にわたって行われた昭和3年の御大典奉祝踊り。鼓、横笛、三味線で情緒豊かに流す富街の芸妓(当時の絵はがきから)。
「東西新町は勿論(もちろん)の事、場末の沖の濱(はま)のほとりまで、おどり子の笛、太鼓、鉦(かね)の音がさんざめいて…島田松村農園の奉祝燈の下あたりまで、町におとらぬ欣躍(きんやく)のジャズバンドが擴(ひろ)がってゐたのも御大典のありがたさ」と、全市が踊りで沸き返った様子を伝えている。
また九十二歳になる小松島市小松島町の沢内ゼンさんが「よろこびのあまり真新しき白木綿の頭巾(ずきん)、紋服で矍鑠(かくしゃく)として三味の音もハッキリと徳島市を練り…」の記事も。
中には「午前三時というに早くもぞめいて出る一團(だん)、二團」がいて「徳島警察署の寝耳を驚かした」。
盛況だった御大典奉祝踊りを受けて翌四年、徳島商工会議所では阿波踊りを本格的に観光資源として売り出そうと、大々的な宣伝に乗り出す。
徳島日日新報によると八月五日、徳島市や鉄道、警察、料理業組合、各検番、船会社、マスコミの代表らを招き、踊り振興策を協議。この結果▽踊り期間を一日延長(ただし初日は夕刻から)して四日間とし、雨天の場合は順延▽ポスター二千枚、宣伝ビラ・パンフレット五万枚を作り、県外へ配布▽徳島公園などに審査場を設ける▽鉄道、船、宿賃の割引をする―などを決めた。
■紙面で宣伝■
新聞もこれに協力し、徳日では同社が先に設立した阿波名勝名物宣揚会の第一回事業として阿波踊り宣伝を取り上げ、特集「阿波踊縣外宣傳號(せんでんごう)」を、一方の徳毎も特集「盆踊宣傳號」(文中などでは阿波踊の名称を使用)を出すなどPRに努めた。
このため県外から団体見物客の申し込みが殺到し、市内の旅館に収容できるかどうか懸念される事態になったほど。商議所ではこれだけの県外客がやってくるのに踊り手が少なくてはいけないと、奨励金まで出して踊り手確保に努め、東新町などでは一家から必ず一人は踊り出すと決めたそうだ。
踊り前日の八月十六日には「美妓數(びぎすう)十名を自動車六台に分乗させ、踊れや踊れや、全市を亂舞(らんぶ)の巷(ちまた)と化せとの宣傳ビラを市内に振り撒(ま)いて」人気をあおり、期間中「全市街は人の群と、その間を縫うて亂舞する踊子をもって埋められ、市内至るところに設けられた休憩所も縣外の観客をもって占領せられ、汽車、汽船は連日數万の観客を徳島市に吐出し昨秋の御大典の際に劣らぬ雑沓(ざっとう)ぶり」(大阪朝日新聞徳島高知版)を示した。 |
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