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新聞で見る阿波おどり

明治編
新聞記事
徳島新聞
1998年6月23日掲載
執筆者 石川文彦
にわか踊り

関心事寸劇で披露

 明治時代前・中期ごろの阿波踊りはどうだったのだろう。江戸時代とも違うし、現在の踊りとはずいぶんと様相が異なる。

■自由な服装■

 「市街は恰(さな)がら絃歌を以(もっ)て埋(うず)めし如(ごと)く、雑沓(ざっとう)混雑の中をお師匠さんが惣(そう)大将、小娘の一隊にてゆたりゆたり合奏(つれひき)で練行く」のは風情があったろう。「大家(たいか)の阿娘(おじょう)は乳母の護衛兵」付きだった。一方では石油缶をガラガラ引きずりながら踊っていく者もいた。また洗いざらしの浴衣で一心に踊る娘もいれば「古(むか)し磨いた撥當(ばちあ)たり、百に成っても踊りは忘れないよ、と皺面(しわづら)を深編み笠に隠す婆ア」もいた。

 鳴り物は三味線や太鼓、尺八、拍子木のほか、石炭の空箱や石油缶のようなものまで何でも使われた。


芝居好きの徳島人たちによって門先で演じられた「にわか」(林鼓浪画=「なつかしの徳島風物」)

 服装も自由だった。「縮緬(ちりめん)ものをピラつかせる目覚ましい」のが少しばかりいる一方「阿波縮緬に寒冷紗の墨画などいふ」のが多かった。しかし、ふんどし一つの児童や仮装と思われるが俵(わら)をかぶりぼろをまとって踊る男もいた。ここまでは、明治十八(一八八五)年の普通新聞にみられる記事だ。

 今では阿波踊りの代名詞のように思われている伴奏歌「よしこの」であるが、当時はまだ一般的ではなかったようだ。十九年の踊り記事にある「“よしこの”なんどいふものを唄ひゆく」がそれを示している。藍商人が、明治維新の前後に県内に移入したといわれ、当時は阿波踊りの中に定着していく過程だったと思われる。

■幕末は禁止■

 「にわか踊り」に関する記事はよく見かける。にわかは寸劇、茶番のことで、幕末には禁止されていた。それが明治時代に入ってよみがえった。
十八年には「走り二〇(にわ)かを我面白に饒舌立(しゃべりた)つ爺々」の記事があるし、二十一年には「踊りの趣向、走り俄(にわか)の仕組、例年に変らねど、覚圓堤防破損一件を仕組んだ二〇加は一寸と人の笑いを取った評判なりし…」(いずれも普通新聞)とある。いろいろな表記がされてはいるが、にわかのことである。「覚圓堤防破損一件」というのは、前回でも触れた名西郡西覚円村の大惨事のこと。「吉野川改修工事の不手際だ」と激こうした被害者らの工事事務所襲撃をさっそく寸劇にして披露したわけだ。

 また二十六年の徳島日日新聞(日日)には「我れも人も喜ばさんには、滑稽的走りニワカに如(し)かずと、種々なる趣向を練って群衆を押し分け鼻うごめかす連中も多かりしが、中にて時節柄面白かりしは彼の第五区の選挙競争を仕組んだる芸なり」の記事もみえる。翌年三月施行の第三回衆院議員選挙の注目区である阿部興人(立憲改進党)と大久保弁太郎(自由党)の選挙戦の様子を相撲にたとえて劇にした。県内の新聞界でも改進党系の日日に対し、自由党系の徳島新報が二十一年に出現するなど政治熱が高まっており、阿波踊りにもこんな政治劇が出現したのが注目される。


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