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新聞で見る阿波おどり

明治編
新聞記事
徳島新聞
1998年6月21日掲載
執筆者 石川文彦
伝染病で延期

寒さこらえ11月に

 明治時代には庚午事変のあった三(一八七〇)年のほか、何度か阿波踊りが中止されている。およそ四年に一回の割合だ。中止の理由は戦争や伝染病の流行で、三十二年のように明確な理由がないまま中止されたこともある。

■赤痢が流行■

 ところが、八年から二十四年にかけては途切れることなく実施された。踊りに対する熱意に加え、規制も少なく、阿波踊り史上最も盛り上がった時期といえるのではないだろうか。なかでも十八年から十九年にかけての踊りは、特筆に値するだろう。


林鼓浪の描いた「明治の盆踊り」=「なつかしの徳島風物」から

 十八年は五月ごろから、赤痢が流行し始め、八月には県庁内に赤痢病予防本部が組織された。同二十四日には調査のため北里柴三郎(当時、内務省准判任御用係)が来県し、普通新聞ではその会見記を詳しく紹介している。景気は「不景気の極み」(五月三十日付)で、米価が下落、商店は半値にしても休業同様とある。そのうえ七月には洪水もあり、新聞は「何等の戯事(たわごと)ぞ」のタイトルで、阿波踊り開催に対し反対する社説を載せている。

 しかし踊りは通常通り許可され、八月二十三日から三日間大いににぎわった。この不景気に踊りなんて、と言っていた人たちも「傍(はた)が騒がしいに辛抱仕切れず、臨時至急の衣装、阿波縮か東京染の一反三十銭内外といふ代呂物(しろもの)を気張り込んで、無闇滅法(めっぽう)分別も捨てイケイケサッサと湧(わ)き出た」そうだ。
 伝染病はその後も猛威をふるい、秋からは赤痢に加えコレラも大流行。翌十九年夏になっても、いっこうに終息の兆しを見せず、この年の阿波踊りはついに延期となった。

■鼻水垂らし■

 県内の伝染病が収まったのは秋になってから。
十月二十五日に県令をもって「劇場祭礼等の禁」が解かれたため、十一月一日の新聞には「遅まきながら踊を催してハ如何(いかが)」という投書が載る。これにこたえた形で阿波踊りは九日から三日間実施された。奉祝行事などは別にして、通常の阿波踊りが十一月に催されたのは、この時だけだったのではないだろうか。十日付では九日午前一時ごろの様子としてこう伝えている。

 「更け渡る夜の風寒み、ヲヲ寒やといふ夜風の肌に徹する中を、何等の願ひかチャカチャカボロボロ、三味線持つ手は(チト仰山(ぎょうさん)といふ評ハあれど)胡蘿蔔(にんじん)見たやうになるさえ構はず、弾て行く跡からは清涕(みずばな)垂らしての伏鉦(ふせがね)チンチン。如何なる寒行か、誤寄特(ごきとく)な振舞ひ。かくまで踊り熱心家のご面相は拝みたいものと睡(ねぶ)ひ眼を刮(こす)りつつソッと覗(のぞ)けバ、コハ如何に、妙に優しき(デもあるまい)聲して『よしこの』なんどいふものを唄ひゆく。
 婦女は寒さを防ぐ計略か綿入の布子半纏(はんてん)、踊りらしひ衣装に見うけず…」。


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